ガンはなぜ再発しないのか
宇和島徳洲会病院の万波誠・泌尿器科部長(66)が行った「病腎移植」が、ひところ問題とされた。日本移植学会をはじめ、医学界の権威筋にしてみれば、いくら病気の部分をカットしたとはいえ、その病気のために切り取った腎臓を他人に移植するなど、もってのほか…という感覚なのだ。(もちろん、移植して機能するなら全摘の必要性があったのかとか、インフォームドコンセントが充分になされていたのか、とか瑣末な理屈をつけてはいるが)要するに医学界の権威者たちは唯物論者であり、病気の本質がわかっていないのではないだろうか。
とくにガンの腎臓を移植した場合(もちろん患部は切除)、移植後の生着・生存率が高い。学者たちには、これが理解できない。しかし、仏法真理では、これは明らかなことである。
なぜなら、ガンは「心」がつくりだす病気なのだから…。最近説かれた法(『復活の法』)では、ガンのもとになる病念は「攻撃的な感情」と「自己処罰の観念」に特定されている。
が、ひと昔前の法では、単に「悪想念」がガンをつくるとされていたがゆえに、大いなる誤解を招いたこともあった。悪想念すなわち「悪事を思う心」と狭くとらえ、「ガンになる人はすべて悪人か!」と反発する人も多かったのだ。「うちのおじいちゃんは善人だった」とか「人のめんどうをみるいい人がガンになった」とか…。
しかし、本来の「悪想念」とは、マイナスの思いのこと。いわばストレスをためやすい人、あれこれ気を使いすぎる人など、とてもいい人でもマイナスの思いがこうじてガンのもととなる念子をつくってしまうのでは…と、私などは解釈していた。実際、すごくいい人がガンに冒されることがあるが、人知れず自己処罰の念いをためていたのかもしれないと思う。
そこで、(もとに戻るが)ガンを発症した腎臓は、その原因である心(人)と離れ、患部を摘出され、ほかの人(心)のもとに移植されれば、もはや原因はなくなる。移植された人が、またガンの病念を発すれば別だが、ほとんどのレシピエントは感謝の念いで生きている。多少、魂の形質が合わなくとも、感謝の念さえあれば拒絶反応など吸収できるのだ。
これが、霊的にみた「ガン腎移植」の真相である。
オーストラリアでは11年前から!
6月16日の産経一面の見出しには驚いた。「病腎移植、豪で41例─がん患者から、再発なし」
じつはオーストラリアの医学界では、11年前から、腎臓ガンの患者から摘出した腎臓を、病変部分は切除し、第三者に移植していたというのだ。しかも、再発した例は皆無だという。
すでに真理は、赤道の反対側で実証されていたのだ。